アマデウス1

松本幸四郎主演

ジャニーズWEST桐山照史出演のアマデウス観て来ました。

アマデウスは版権とか厳しいだろうからDVDになる可能性は限りなく低いと思っているので完全に自分の為の備忘録かつ自分がストーリーを整理する為に書きます。

シーンの感想は書いてるけど全体的な感想はまた別で書けたら。

 

なのでネタバレっていうレベルを超えて細かく書いているので恐ろしく長いです!

記憶力ない方なので台詞とか違うと思います。許してください。

 

 

★主な登場人物★

語りにして主人公である宮廷作曲家サリエーリ

そして、神の寵児という意味の『アマデウス』をミドルネームに持つ天才作曲家ヴォルフガング・アマデウスモーツアルト

その妻コンスタンチェ

音楽好きだけど才能はない皇帝ヨーゼフ2世

シュトラック侍従長

ローゼンベルク伯爵(国立劇場監督)

フリーメイソンの熱心な会員であるまじめなスヴィーデン男爵(長官閣下・フーガの殿様)

 

 

★サリエーリの独白★

導入部分がとても好き。

『未来の亡霊体=観客』に話して聞かせるというのが何とも素晴らしい。

客電が付いたときにサリエーリが

『おお見える。見える。お前たちの顔がよ~く見えるぞ』と嬉しそうに言われるとなんだか嬉しくなる。

サリエーリのお茶目さがにじみ出ていて一気にサリエーリという人が好きになる。

 

そして毎日満員の客席を松本幸四郎さんに見せることが出来て自分もそのうちの一人と思えるのは誇らしいというか来たかいあるって思える。

空席だらけだとこの演出少し微妙な空気になっちゃうよね。。。

 

モーツアルト出現★

初めは下品な若者が来た程度の気持ちで顔をしかめていたサリエーリ

モ『トルアツーモってな~んだ?』また変な事言い出した

モ『逆にしてごらんよ』逆か~。。。え?もしかして???

モ『モーツアルト!』え???こいつが???

みたいな表情の変化がすごく好き。

モーツアルト桐山照史くんとコンスタンチェ大和田美帆さんの掛け合いの間がすごく良くてまさに

『バカップル』

夫人の召使の呆れ方もすごく良くて、うわぁこの舞台絶対面白いぞ!

と思わせてくれる瞬間。

 

★サリエーリの挫折★

自分の前に天才が現れた。

ここで出てくるキーワードは『神の声』

サリエーリはモーツアルトの曲に『神の声』を感じ挫折し、モーツアルトに会う事を避けながらも

モーツアルトの作品を集める。

 

★サリエーリとモーツアルトの対面★

モーツアルトが宮廷の中で異色の存在であることと、

モーツアルトの才能と無邪気さゆえの無神経さを印象付けるシーン。

サリエーリが作曲した行進曲をモーツアルトが無邪気に編曲し

『あ~良くなった!』楽しそうに言うこのシーンはモーツアルトのという人物がとても端的に描かれていてすごく好き

全体的にとてもコミカルで、桐山モーツアルトの動きの軽快さが全開。

ジャニーズアイドルが俳優として舞台に立つ『意味』が見える気がした。

 

モーツアルトの才能はサリエーリにしかわからないのかも?★

モーツアルトのオペラは皇帝と監督閣下には『音符が多い』と理解されない。

その時モーツアルトは(サリエーリならわかってくれるはず)という目線をサリエーリに送るのに

サリエーリも『理屈としてはその通り』と皇帝の意見に同調。

その時のモーツアルトは『え?噓でしょ?そっち側の人間なの?』みたいな反応。

少しご機嫌を損ねたっぽい皇帝のことが気になりサリエーリを呼び止めるモーツアルト

モーツアルトはサリエーリに感想を求める。

実はこの後も、モーツアルトが感想を求めるのは皇帝以外ではサリエーリだけ。

 

モーツアルトはサリエーリが恋心を抱いていた歌手に手を出してしまい

サリエーリは『男としての嫉妬』もモーツアルトに抱くようになる。

 

侍従長閣下に見放されるモーツアルト

酔っぱらいモーツアルト

やりたい放題したい放題。

どんな罵詈雑言を放っても一生懸命モーツアルトをなだめる侍従長閣下。

怒ってたのにモーツアルトの音楽を聴くと楽しくなっちゃう侍従長閣下。

かわいい。

なのに、モーツアルトはついに言ってはいけない言葉を言ってしまう。

『ボク知ってるんだ~皇帝が影でなんて呼ばれてるか~けちけちカイザー!キャハハハハ』

皇帝を侮辱することは侍従長も侮辱すること。

そして、それにすら気づかないモーツアルト

自業自得。

 

★サリエーリが神へ宣戦布告★

サリエーリはコンスタンチェにモーツアルトエリザベート王女の家庭教師に推薦するための所謂枕営業を求める。

個人的な感想としては珍しく桐山君にキスシーンがないと思ったらまさか幸四郎さんのキスシーンを見ることになるとは!と興奮(笑)

そしてサリエーリはモーツアルトの手書きの楽譜を見ることになって

下書きの跡がまるでないことに衝撃を受ける。

モーツアルトはただ「頭の中に流れている音楽」を書き留めているだけに過ぎない。

サリエーリは自分には『耳』しか与えられていないと嘆き、自分の凡庸さを実感させられ続けることに絶望する。

(この時にバタ!と前に倒れるんだけどその倒れ方がほんの少し膝が曲がるくらいで、ほぼまっすぐで。

八百屋舞台だから傾斜もあるのに、勢いよくバターン!って。

素晴らしい!でも幸四郎さんのお年を考えると無理しないで!って気持ちになる。

千秋楽まで怪我なくご無事で)

サリエーリは自分を凡庸と称しながら『非凡な』自分も自覚しているようにも思える。

非凡だからこそモーツアルトの才能がわかるって密かに思っているところが端々に垣間見える。

それを証拠にサリエーリは全幕を通して『神が自分に罰を与えないこと』について疑問は持っても

モーツアルトが評価されないことに対しては何も疑問を抱かない。

『今は評価されなくても、後世に残る音楽』

ってずっと思っている。

むしろ、今は誰にも気づかれたくないと思っている。

もちろん、モーツアルトを引きずり下ろしたいのだから、当たり前と言えば当たり前なんだけど、

そこに本当に分かってるのは自分だけというような優越感とモーツアルトへの執着心を少し感じさせる。

(今回の観劇レポの為にアマデウスで検索かけてみたら

腐女子の方々には映画『アマデウス』はサリエーリとモーツアルトのBLストーリーとして定評があるらしい。

世界は広いそして深い。。。でもちょっとそういう好みの方々の琴線に触れるのは少しわかる気がする)

 

『神を侮るなかれだと?人間を侮るなかれだ!今日より後、私とお前は敵同士だ!』

と神に宣戦布告するシーンで思わず涙。

私は無宗教なので神と戦うことについての重さってわからないけれど、今まで信じてたものを失うのはつらい。

その気持ちが言葉として全身に刺さってくるような感覚。

 

★幕間★

休憩に入る前に老サリエーリに戻る。

『膀胱は人間の付属器官であって、未来の亡霊たちには関係ないことだが、ワシのような老いたものにはしばしばお声がかかるものでな』

って。もう大好き!

休憩ないのは絶対しんどいけど、物語としては途切れてしまう。

でもおじいちゃんがトイレ行っている間待っていると思ったら全然物語が途切れない!

しかも手を振って去っていくおじいちゃんの可愛さよ!

思わず振り返したくなる。

 

休憩終わりも

客電明るいまま『シーシーシー』って猫を追い払う言葉で入ってくる。

未来の亡霊としてここにいて、おじいちゃんの話を聞くのを待っているという気持ちに改めてなる演出。

最高!

 

ってことで続きます…