アマデウスロス
松本幸四郎主演 ジャニーズWEST桐山照史出演 舞台 アマデウス
照史くんファン全開でモーツァルト照史&その他出演者さんの感想を書きたいと思います。
思うがまま書きなぐったらめちゃくちゃ長くなった(笑)
多分読むのがしんどいと思います。すみません。
まとめるの苦手(笑)
映画アマデウスが好きだったっていうのは前のブログでも書きましたが、だからこそ照史くんがモーツァルトと聞いて、すごい!うれしい!っていう気持ちもあったけれど、同時に
『めちゃくちゃ難しい役だけど、大丈夫かな』
とはちょっと思った。ちょっとだけね。
一番心配だったのは、モーツァルトの下品さ。
演技がうまければうまいほど、照史くん自体も下品だと思われるんじゃないかなって。
でも、もちろん照史くんだからきっと心配ないだろうという気持ちもあった。
初日の幕が開き、私はモーツァルトのとりこだった。
可愛い。なにあれ。
うざい。なにあれ。
笑い方が映画そのまんま。
え、笑い方はあれじゃないとだめなの???(笑)
下品なんだけど、全然下品じゃなかった。
そこはかとなく漂う品の良さ。
モーツァルトはなんだかんだボンボンなんだよな。って。
映画は下品な人だったけど、照史くんのモーツァルトは子供。
小6。
風さんが言ってた
『あの明るさ!気取りのなさ!』
あ~照史くんそのものだ!って思った。
本当に持っている資質が似ていた。
その場をぱっと明るくする力があって、サービス精神旺盛でそこにいれば場が華やかになる。
自信満々に振舞っていても、明るさの裏にちょっとした影が見える。
完璧に照史くん!
病んでうつろな目で窓の外をみるモーツァルトなんて、ああ、この顔見たことあるわ!ってなる(笑)
あそこまでひどくないけど(笑)
でも、モーツァルトは照史くんと違って、空気読めないし、人が求めていることがそこまで良くわかってない。
そこが大きな違いだね。
照史くんがモーツァルトじゃなく照史くんで良かった。
照史くんって演じている間は照史くんそのものの『素』がちょっと変わってしまうところがあると思っていて。
だからモーツァルト全開で出演した生放送のラジオ『レコメン』まじでうざかった(笑)
あ~こんな人がそばにいたら、そらしんどいわ。
皆離れていくわ。
コンスタンチェまじで尊敬するわ。
って思った(笑)
アマデウスは大好きだし、モーツァルトを演じる照史くんすきだけど、、、
照史くん早く帰ってきて(泣)ってなった(笑)
サービス精神といえば、モーツァルトがサリエーリの曲を編曲しちゃった時、モーツァルトが立ってピアノ弾くんだけど、その弾く前にサリエーリの顔をちらって見ながら『喜んでくれるかな!』みたいないたずら笑顔になるのが、たまらなく可愛くて!
サリエーリが『もう行かないと』って言った瞬間、寂しそうな顔して口尖らせて『なんで?あなたも何か編曲試してみたら?』って遊んで!遊んで!ってお前はワンコか!みたいな。
もう可愛い。可愛い。可愛い。
きっと、サリエーリが思っているより、モーツァルトはサリエーリの曲を認めていたし、サリエーリのこと好きだったと思うよ!!!
アマデウスには照史くん以外にも私の好みの役者さんがたくさんいらっしゃって楽しかった。
まずは、監督閣下!
なんなの?きっと仲良しだよね。照史くんと立川さん。知らないけど(笑)
立川三貴さんの存在感大好き~!!!
台詞まわしがすごくコミカルで!
『なぜドイツ語。なのだっ?』
『イタ~リア語だけだっ』
て最後に小さい『っ』が入る感じ!歌うような台詞回し。
皇帝挟んでモーツァルトとワタワタするところとか、
いいえ、はい、の後に『はい』ってものすごい低い声で言いながら去っていったり(笑)
『ばばばばバレエをなぁぁぁ うふふふふふふふ』
まさに悪代官(笑)最高。
モーツァルトに酔っ払って絡まれたときも、ピアノの横無駄にくるくる回って踊りながら去っていったり。
いや、どれだけシーンに動き増やすねん!ほしがりすぎやろ!(ほめてます)
ちなみにそのときのモーツァルト『何してんの?』ってつっこむんだけど、酔っ払ってるから舌足らずの甘えた声なのが可愛くて可愛くて。
監督閣下ありがとう。
大好きでした!
侍従長閣下外山誠二さんの可愛さにも癒された~
侍従長閣下は皇帝への挨拶がとてもきれいで、
ものすごく腰が低くて、まっすぐ手を伸ばして、
凛としてすごくうれしそうにニコニコしながら皇帝を迎え入れるの!
はぁ、、、こんな人に皇帝の悪口言っちゃだめだって!まじでモーツァルトさんよぉ!
侍従長の何が好きって歩き方ね!
なんか効果音出てるよね(笑)
特に怒ってはけるときとか『ぷんすか!ぷんすか!』って音が聞こえる(笑)
なんやろ。足音もなくてすごく優雅なんだけど、その足捌きの軽やかさがすごくコミカルで、いとしい。
なんか手塚治虫の漫画に出てきそう。
小さい雲出しながら歩いてる感じ!(伝わるかな?)
皇帝大好きな好々爺って感じで最高!
あと好きなのは夫人の召使いの世古陽丸さん!
この人も照史くんと仲良さそう!なんかかすかにアドリブ入れてくる感じが(笑)
なんかその時の3人が楽しそうで好き。
あきれて見せてるけど、以外とこのバカップル気に入ってるんでしょ?
夫人の手前、厳格に見せなきゃいけないから我慢してるけど、
実は好きなんでしょ?って言いたくなる。
『奥様がお呼びですぅ~』
の『すぅ~』の言い方がたまらなく好き。
その日のバカップルに合わせてくるのがすばらしい!!
ダチョウ倶楽部を軽くやったり大げさにやったり(笑)
台詞は多くないんだけど、存在感がすばらしかった!
モーツァルト達が行った後、あきれながら歩く姿と幸四郎さんの『うぇぇぇぇぇ???』みたいなのが重なって、めっちゃ笑えるシーンになってた。
最高。
あと、私も病みモーツァルトにソーセージあーんしたいです。
うらやましい。
幸四郎さん、すごいよね。
ひたすらすごい。
サリエーリ73歳、幸四郎さん75歳。
もう逆転しちゃってるんだよね。びっくり。
老サリエーリのお茶目さがすごく好き。
青年に切り替わるときのさわやかさもすばらしくて。
でも、正直
『もっと若いときに見たかった』
と思ってしまった。
もっとすごかったんだろうな。。。って
今でこんなにすごいんだから、もっと!って。
でも、どなたかの感想で
『以前にもまして若く見える。役者はいくつになっても成長し続けるというのを体現している』
みたいなことを書いていた方がいたので、
やっぱり今でよかったのかと思い直した。
そして何よりコンスタンチェ!
こじはるに始まり、照史くんは過去いろんな人とお付き合いをされてきました。
結婚もしてました。
ゲイだったときもあります。
その中で、コンスタンチェが一番『ニコイチ』感が強いと思った!
守る対象だったり、幼馴染で友達のような夫婦だったり、逆に守られていたり、恋する相手は血のつながらない兄だったり(笑)お見合い相手に一目ぼれして浮かれ果ててたり、いろいろ見てきたけど、、、
コンスタンチェはモーツァルトの半身って感じがした。
未熟だからこそ二人で一人。
そんな感じがして、はしゃいでても、喧嘩してても、二人でいることがとても自然だった。
『パパパの二重唱』
コンスタンチェのほほに手を当てて相手の目だけを見て楽しそうに歌う姿。
ずっとこのままでって祈らずにはいられないシーンだった。
大和田美帆さんは表情が豊かで、愛らしいって言葉がとても似合う。
モーツァルトも声が高かったり低かったりそのときによってころころと変わるけど、それに合わせてコンスタンチェも同じように声が上下する。
それが本当に二人の仲の良さとニコイチ感が強く感じさせた理由かなと思う。
大和田さんのブログを見たけれど、相手を見て演技をする人なんだなっていうのが文章化されていて、だよね!って思った。
凄くバランス感覚のするどい方なんだろうなって思った。
行動も常に可愛くて、初日からコンスタンチェのとりこだったけど、
回を重ねていくとモーツァルトの投げチュウ食べたり、モーツァルトがサリエーリと話している間ピアノの弾くまねをしてみたり、指輪をいじってみたり。
落ち着きのない感じがますますコンスタンチェ!って感じに仕上がってきてずっと見ていて飽きなかった。
衣装もすごく似合っていて、そして個人的に最強にお胸がうらやましかった。
大和田さんがコンスタンチェで本当によかった!
サーヴァントの西村雄正さんがブログに『こんなに仲のいいカンパニーは初めて』って書かれていて、
そんな舞台を見ることが出来て幸せだなぁって心の底から思った。
すごい個性的で役者として確立している重鎮とも呼べる人たちの中に、ジャニーズである若い照史くんが入る。
それがアマデウスという作品の性質と重なり、とてもいい作用になっていて、奇跡的な、運命的な作品になっていると思った。
私は演技をしている姿を見て照史くんのファンになった。
私は桐山照史が世界で一番すばらしい俳優だと思っているし、天才だと思っている。
だから、ジャニーズであるというのは俳優として劣るという意味ではない。
でも、人それぞれの経験から生み出される芝居というものがあって
ジャニーズであるということが、照史くんの演技の構成要素になっているのは間違いないな。
って。
この舞台アマデウスを見て強く強く感じた。
ジャニーズアイドルであること。それが俳優桐山照史にとってこんなにも強力な武器になるなんて。
高麗五郎さんが『歴代モーツァルトの中で桐山君のモーツァルトが一番』と褒めてくださって泣きそうになったと、照史くんがブログに書いていたけど、それがただのお世辞じゃないって信じられるモーツァルトだった。
(でもそれぞれのモーツァルトがきっと常にそのときの一番なんだと思う)
ビューティフル・サンデイを一緒に見てくれた劇団を主宰している友人が
『すごく動ける俳優さんだね。本当にすばらしい!』
ってほめてくれたんだけど、実はその『動ける』って意味がそこまで落ちてなかった。
わかるようなわからないような。。。だった。
それをこのアマデウスを見て思い出した。
『動ける』ってすごい!
もうモーツァルトな照史くんに逢えないのかと思うと、とても寂しいし、
完全にロスだけど、
こんなにすばらしい舞台を見せてくれてありがとうって気持ちで今も溢れている。
趣味は観劇。
そしてジャニヲタになったおかげで、さらに良質な舞台に出会えた。
桐山照史くん。
いつも幸せをありがとう。
アマデウス感想
松本幸四郎主演
ストーリーの感想、自分なりの解釈など。
極力ヲタ目線無しバージョンで。
ヲタ全開なのは全公演終わった後に。
役者さん方への感想も。
きっと気持ちが溢れ出るだろうから(笑)
桐山君が舞台出演、演目はアマデウスと聞いた時、アマデウスってあのアマデウス?
とまず思った。
私は学生の時に見た映画アマデウスが凄く好きだった。
失礼ながら幸四郎さんがアマデウスをライフワークにしているのは存じ上げなかった。
ラ・マンチャの事は知っていたから、歌舞伎、ミュージカルの他にまだライフワークあるの?
っていう驚きがあった。
実際舞台を見てみて、75歳にしてあの迫力、あの気迫があるなら、働き盛りと言われてる35~45歳はエネルギー余りまくってただろうから3本目のライフワークにも納得だなと思った。
幸四郎さんマジで偉人。
全体的な雰囲気は重厚で上品。
だけど、その中でモーツァルトの軽快さやサリエーリのお茶目さコンスタンツェの愛らしさ、監督、皇帝、侍従長、長官たち4人のキャラの濃さが重すぎず、こじんまりもせず自由な空気とエネルギーで会場を包みこみ、特別な空間を作り出していた。
あの空気感のバランスの良さはどうやったら生み出されるんだろうと考えずにはいられない程の心地よさ。
兎に角、転換ごとに空気を変えるのが上手い!
桐山君は自身のブログで、風の二人の表情や声色でシーンの全てがわかり、サーヴァントの薄暗闇での優雅な働きで場面が変わると書いていた(文章は全然違うけど)
本当にそうだなと思う。
キャラを与えられた人々はキャラを演じることで舞台を作るけれどこの方々は舞台そのものを演じてるんだろうなと思った。
さて、ストーリー。
初見の印象としては映画が好きだったからラストシーンが違っていて残念だった。
映画ではサリエーリはモーツァルトにレクイエムを書かせることで実際に精神的に追い詰めたし、追い詰めたくせに最後までモーツァルトにいい顔してたし、そのくせモーツァルトの代筆を通して才能を見せつけられサリエーリは更なる絶望へと導かれる印象だった。
まさにサリエーリの嫉妬が主軸に置かれたストーリーだった。
幸四郎演出の舞台の方は違う。
違うからサリエーリという人物がより複雑かつより人間的に感じられた。
私はサリエーリはモーツァルトのことが大好きだったんだと思っている。
可愛さ余って憎さ100倍ってよく言うけれど、憎さ余って可愛さ100倍!って感じ。
嫉妬、羨望、憧れ。
こうなりたいと思う人物が身近にいる。
誰もが経験あると思う。
そういう人物に出会ってしまったら、相手を認めず遠巻きに見て一方的に嫌うか、
自分の手中に納めたいと思うかどちらかだと思う。
誰かを手中に納めたいというのは独占欲でそれが親友という形なのか恋人という形なのかは別として、性別は問わない欲望だと思う。
サリエーリは自分は前者だと思っている後者だと思う。
自分のプライドでモーツァルトが好きだと言う気持ちに気付かないふりをしていただけだし、もしかしたら本当に最後まで全身全霊でモーツァルトを愛していたことに自分自身は気付いてなかったのかもしれない。
初見の時に、こんなに愛せる人が居てサリエーリは幸せだなあと思ったし、モーツァルトは周りの人間がどんどん離れて行く中でサリエーリには受け入れられてる自信があったんだろうなと思った。
幸四郎さんがおっしゃっていた『アマデウスは単純な嫉妬の物語ではない』というのはこういうことかなと思った。
一方モーツァルトは傍若無人で自信満々に見えて、愛情に飢えた人間不信なところがある人物。
自分の才能を自覚していて、才能に依存し、だけれども才能しか認められないことに不安を感じ、その不安を見ないふりをしようとすることが幼児性に繋がっている。
そんな負のスパイラルを持った人物に見えた。
モーツァルトはサリエーリには他の人に比べたら心を許していたように思う。
サリエーリと出会った日から
『あんたってなんかいい人だな。サリエーリさん』
って思ったままなんだと思う。
作曲家としては勝っている自信はあったんだろうけれど、男として権力を持つサリエーリを認めていたと思う。
だから皇帝を怒らせたかもと思った時や渾身のオペラ『フィガロの結婚』が受けなかった時もサリエーリに意見を求めたし、
コンスタンツェがサリエーリに惚れてしまわないように『イタ公は芝居が上手いから気を付けろ』と牽制したりもした。
でも、サリエーリからの嫉妬の気持ちも感じていたのか心を許しきることはなかった。
サリエーリがモーツァルトが考える作曲家の使命について感動し握手を求めた時も
父親が死に、サリエーリが『これからは自分を頼れ』と手を広げて待っていた時も
皇帝から宮廷で安く雇われた時も『新しい友よ』と手を広げて待った時も
モーツァルトはその手を取ることもその手の中に飛びこむこともなかった。
そしてラストシーン。
果たしてモーツァルトは本当に幼児退行してしまったんだろうか。
コンスタンツェも居なくなりサリエーリにも裏切られたことがショックで幼児退行。
確かにそれはある。
初めて見た時にはサリエーリに抱きしめられてもモーツァルトは『キスの歌』を歌い続けていた。
それは精神が壊れた人に思えた。
でも、次に見た時はサリエーリに抱きしめられて歌うのをやめ、サリエーリの胸の中で泣くモーツァルトになっていた。
そのシーンを見た時にモーツァルトは完全には壊れていないのかなと思った。
『その手を広げてくれたらさ。その中に飛びこむから』
今まで手を広げて待ってくれたのに受け入れなかった後悔。
もう二人の関係は修復し難いけれど、せめて一度は受け入れたいと思ったんじゃないかと思った。
サリエーリときちんとハグがしたいと。
普通にしていたら無理かもしれないけど、誰もが受け入れてくれていた子供だった自分ならばサリエーリも素直に受け入れてくれるのではないか。
そんな風に思っているとも取れるなと思った。
これは深読みが過ぎるのかもしれないけれど…
二人は二人とも天才でプライドが高く、傷つくことを強く恐れる小心者だった。
だからすれ違い、もうどうしようもなくなってからしかお互いを受け入れられなかった。
サリエーリはモーツァルトが死んでもなお人々の伝聞の中で共に生きたいと望んでいた。
その願いはかなわなかった。
愛し方が不器用だった人の哀れな結末。
これを神からの罰だと見ることも出来る。
でもサリエーリってあまり悪いことしてないよね。とも思う。
もしモーツァルトがサリエーリを受け入れていたらサリエーリはモーツァルトを素直に支援出来たかもしれない。
お互い様。
結局は人間関係大切にしなきゃ幸せになれないよって話かなと思う。
皆色々な後悔の中で生きている。
それをサリエーリは同じ立場のものとして許してくれる。
未来の亡霊である私にこんなに素晴らしい舞台を見せてくれてありがとう神様。
アーメン
アマデウス3
(松本幸四郎主演
アマデウスは版権とか厳しいだろうからDVDになる可能性は限りなく低いと思っているので完全に自分の為の備忘録かつ自分がストーリーを整理する為に書きます。
シーンの感想は書いてるけど全体的な感想はまた別で書けたら)
★モーツアルトの死後★
仮面の男は実在しており、別の名義で発表されたレクイエムはサリエーリの指揮で演奏された。
その後サリエーリはどんどん出世し人々に讃えられる。
コンスタンチェは再婚。モーツアルト学の権威となる。
コンスタンチェがモーツアルトの楽譜を売るときにはインクの量で値段を決める。
つまり『音符が多いほど値段が高い』
音符が多いと揶揄されたモーツアルト生前と死後の評価の違いが表れているような気がする。
★サリエーリと神との最後の戦い★
サリエーリは神に『作曲家になること』『権力を手にすること』をお願いしていた自分を思い出す。
その契約が受け入れられた故に『才能がないのにも関わらず、人々に崇められる苦痛』を味わう。
ただ、やはり見せかけのもの。サリエーリはどんどん人々に忘れ去られていく。
それを阻止するため、サリエーリは神に最後の戦いを挑む。
『自分がモーツアルトを暗殺した』という噂を流した上で、自殺をすることだった。
しかし、自殺は叶わず、噂は誰にも信じてもらえなかった。
ラストシーン
『凡庸なる人々よ。神に絶望した時、私に祈るがいい。私がそなたを許そう。アーメン』
この時のサリエーリの独白にぐっとくる。
『最後まで戦い抜く』と宣言したサリエーリは、
宣言通り、最後まで自分の凡庸さと才能を与えてくれない神と戦い続けた。
羨望・嫉妬・承認欲求。
欲望は誰もが持つもので、きっとかなえられないままのものがほとんど。
その欲望にしがみついてしまうことも人間の性であり、
仕方がないことだと。
サリエーリは神と戦いぬくと宣言した手前、神に許しを請うことはできない。
きっと自分と同じように神に絶望している人々はいる。
その人々のためにサリエーリは『同じ凡庸な人間としての許し』を宣言したかったのだろう。
ラストは空を抱きしめ、暗転。
暗転後、拍手が起きるんだけれども、
『そのまま静寂の中に居たいと思わせる』とTwitterでの感想を書いていた人がいた。
まさに!と思った。
もちろん拍手しますけどね!
★カーテンコール★
風二人が現れ、さっと後ろを紹介。
緞帳が開き、サリエーリ・モーツアルト・コンスタンチェ以外の皆様が勢ぞろい。
そしてまた緞帳が閉まり、
真ん中からコンスタンチェ大和田美帆さん(登場シーンのピンクのドレス)
タタタタタと軽快に出てきて鮮やかにお辞儀をして、また軽快な足取りで緞帳の中へ。
続いて、モーツアルト桐山照史くん(登場シーンのピンクのジャケットに赤パンクかつら)
スキップしながら出てきてど派手なお辞儀をしたあと、満面の笑みを会場に向けて再び飛び跳ねるように緞帳の中へ。
そして、サリエーリ松本幸四郎さん(水色ジャケット)
ゆっくりゆったり歩いて来て、会場の拍手をかみしめるように、軽く両手を開いて会場を見渡しながら嬉しそうにうなづく。
そして、幸四郎さんが後ろにさっと手をあげ、緞帳が開き、みんなで手を繋いで幸四郎さんを迎えに行く。
(この時の幸四郎さんが桐山君の方を振り返って手を伸ばし、それを優しく迎える桐山君っていうやり取りがすごく好き)
みんなで繋いだ手をあげて一礼したあと、後ろに下がり緞帳が閉まる。
先ほど一人ずつ出てきた場所から、今度は、コンスタンチェ・サリエーリ・モーツアルトの順番に手を繋いで3人で出てくる。
センターに出てきて、
コンスタンチェ・モーツアルト・サリエーリの順番にセンターであいさつ。
その時に手をくるくるくるって派手にやる幸四郎さんが大変お茶目
そして手を繋ぎ緞帳の中へ。
また緞帳が開き、今度は全員が手を繋いで勢ぞろい。
前に出てきて繋いだ手を挙げて挨拶したあと、また後ろへ。
緞帳が閉まり再び開き、再度前へ。
(もっと前から起きる場合もあるけれど、スタンディングオベーションはこのタイミングで起きることが多かった)
幸四郎さんが繋いだ手を何度も上げたりおろしたり、上げかけて止めると見せかけてやっぱり上げたり。
ってお茶目さ全開で嬉しそうにしてたのがとても印象的。
鬼気迫る本編とは一転してアットホームな雰囲気の舞台の上で満員御礼の客席から心からのスタオベを受ける幸四郎さんが幸せそうで
こちらもとても幸せな気分になった。
初日・楽のお話については記憶力がない私には無理なので、
他の方のレポを探してください(笑)
本当にいい舞台でした。
ということで、自分の為の備忘録は以上です。
長々と読んでくれた方、ありがとうございました。
アマデウス2
(松本幸四郎主演
アマデウスは版権とか厳しいだろうからDVDになる可能性は限りなく低いと思っているので完全に自分の為の備忘録かつ自分がストーリーを整理する為に書きます。
シーンの感想は書いてるけど全体的な感想はまた別で書けたら)
★ただの馬鹿じゃなかったモーツアルト★
『女への誓いもこれでご破算』『社会奉仕の誓いもパー』
神への誓いとして行っていたことをやめ、グレて派手になるサリエーリ。
モーツアルトは一定の評価を得るものの埋もれたままジリ貧。
ついに『イタリア語のオペラ』を書きたいと言い出す。
本物の人間のストーリが書きたい、伝説物語のオペラじゃなくて!と主張するモーツアルト(基本的にその時代のオペラは全て伝説物語だった)
『今世紀に書かれたもっともらしいオペラは全て退屈でありま~す』
と椅子の上に立って高らかに宣言するモーツアルトにポカーンと口を開けて呆れるサリエーリ・長官閣下・侍従長閣下
それを見て、『見事な四重唱だ~』と。
物真似をしながらそれぞれの心情を語るモーツアルト。
みんな声色似てる!桐山君マジ多才。
そして侍従長閣下と長官閣下は本当にそう思ってそうな言葉なんだけれどサリエーリは
『下品なドイツ人のモーツアルト!あいつに音楽のことなど何がわかるものかっ』
って声マネするんだけど、実は正反対っていうのも面白い。
そのあと、モーツアルトはこう続ける
『オペラの惚れすごいんですよ。劇作家ならそれぞれの心情を言葉にして順番に書いていかなければならないでしょ?
でも、オペラは違う!いっぺんに聞かせることが出来るんですよ。しかもそれぞれの言葉をきちんと聞かせながら』
『あ、ボク何十分も続くフィナーレを書こう~四重唱が五重唱になり五重唱が六重唱になり重なり合った音は耳の中で混ざりあい全く違う一つの音になるんだ!
あ!きっと神様もこうやって人々の声を聴いているに違いない!
そうだ!これが我々作曲家の仕事じゃありません?民衆の声を音楽に変えて神に聞かせる。
そして聴衆を神に変えるんだ!!!!!はぁぁぁ(想像して幸せそうな顔)』
悦に入っていたモーツアルトは周りの空気に気づいて茶化すんだけど、
サリエーリはすごくハッとした顔をしている。
だって、サリエーリは音楽は『神の声』と表現していた。
モーツアルトは音楽は『神に聞かせる声』と言う。
アプローチ方法は正反対なのに、ここにサリエーリとモーツアルトの共通項を見る。
キリスト教圏の人には当たり前なのかもしれないけれど、サリエーリとモーツアルトは音楽に対する考えが似ていると気づかされる。
そしてモーツアルトは『皇帝にオペラが出来たとお伝えを』と。
もうできたのか?という問いに
『もう頭ン中に。あとはさらさら~っと書くだけ』とサリエーリが1幕で気づいたことが事実であることをわからせる言葉を放つ。
★監督閣下に嫌われるモーツアルト★
ついにイタリア語のオペラを書くというモーツアルト。
自分の領分を侵されたくないサリエーリはなんとか邪魔しようと監督閣下を巻き込んで上演を中止しようと画策。
だが、皇帝がモーツアルトの味方をしてしまい、画策は失敗。
サリエーリの予想通り、オペラの出来は素晴らしく、完全なる敗北を感じるサリエーリ。
しかし皇帝の好みではなかった為、上演は失敗。
ここでモーツアルトはサリエーリに感想を聞く。
ほめたたえるサリエーリ。モーツアルトは落ち込みながらも『これはオペラの最高傑作ですよ』と自画自賛。
監督閣下の面目をつぶしてしまったモーツアルトはどんどん仕事を失う。
先進的なモーツアルトの音楽は観客の受けも悪い。
追い詰められていくモーツアルト。
ここまで来たらサリエーリが何をせずともモーツアルトは落ちぶれる一方。
なのにサリエーリは『あとはモーツアルトに近づいて彼の弱点を知るのみだ』と。
いやいや、理由つけて結局一緒に居たいだけでしょとひそかに思う私。
サリエーリになつくモーツアルト。
父親が死に、少し怯えたように狼狽えながら『僕にはもう誰もいない』と言うモーツアルト。
そんなこと言ったら傍らでサリエーリ密かに傷ついてるで!って思う私。
なついたと思ってたのに。。。
しかしめげずにサリエーリは『私が君の力になろう』と手を広げて抱擁を求める。
その胸に飛び込むかに見えたモーツアルトはそのまま飛び込まず
『パパ―』と叫んで音楽の世界へ。
その後にもモーツアルトはサリエーリの抱擁を拒否しているし、
握手も無視されるし、切ないよね。サリエーリ。
★フリーメーソンを題材にした『魔笛』を作り長官閣下を怒らせるモーツアルト★
いよいよ困窮し体調も悪く安酒におぼれ『灰色のコートの灰色の仮面の男』の悪夢を見るモーツアルト。
そのモーツアルトを怖いと言い二人目の子供が出来たきっかけで出て行ってしまうコンスタンチェ。
その直前に二人で歌っていた曲が
『パパパの二重唱』
出会って恋をした二人が運命の出会いの幸せをかみしめたり、子供は何人ほしい?とかって言い合う曲らしい。
なんて切ない。。。
そして悪夢の中の仮面の男はモーツアルトに『レクイエムを書け』と。
現実だと思いつつも、本当に現実かどうかも自信がないモーツアルト。
神のつかいなのではないかと考えるモーツアルト。
フリーメーソンの友愛の精神にのっとって厳しいことを言いながらもなんだかんだ支援してくれる長官閣下。
この関係を断ち切らないと完全に追い詰めることはできないと思ったサリエーリは
次の題材を『フリーメーソンにしてみたら?』とけしかけ、まんまとそれに乗っちゃうモーツアルト。
魔笛を聞いたサリエーリはモーツアルトは神が吹く『笛』だと表現する。
こんなに弱り果てているのに、いつまで神は笛を吹き続けるのか。
そしてサリエーリの差し金で観に来ていた長官閣下は激怒し、ついにモーツアルトの味方はサリエーリ一人。
★モーツァルトが来ないからこっちから行っちゃうサリエーリ★
支援者は誰もいなくなった。味方はサリエーリただ一人。
と思っていたのに、モーツアルトが全然自分のところに来ない。なぜだ?
風によるとモーツアルトは窓際のテーブルで必死に曲を書きながら時折窓の外を怯えるような目で見て誰かを待っている様子らしい。
そうだ。私は知っている。モーツアルトが待っているのはレクイエムを書けと言った灰色の仮面の男だ。
モーツアルトが待っているのならば、自分が仮面の男になろう。
窓の外で怯えるモーツアルトに向かって毎日カウントダウンをし、ゼロになった瞬間、
やっぱりモーツアルトは思ってた通り自分を部屋に呼び入れた。
そしてモーツアルトの部屋へ行くサリエーリ。
神のつかいだと思っているモーツアルトは目が合うことを極端に恐れ、怯えながら
『すみません、まだできてないんです。あとちょっとなんです!』
と途中まで出来上がっている曲をサリエーリに見せている間、子供のころは幸せだったと、父親に愛された過去を話すモーツアルト。
『ボクの人生はどうしてこんなことになってしまったの?そんなにボクが悪かったですか?
神様の代わりにこたえてください!』
と仮面をつけたサリエーリに懇願するモーツアルト。
その瞬間楽譜を破るサリエーリ。
『素晴らしい、素晴らしいよ。神の言葉だ飲み下す』
と飲み込んでしまう。
口に残ってた切れ端を吐き出し
『我々は毒を盛られたのだよモーツアルト。10年間の私の憎しみが君を死に至らしめるのだ』
と。仮面を外すモーツアルト。
『サリエーリっ』とささやくように驚きの声を上げるモーツアルト『神様』と。
『神は助けてなどくれない。神はお前を愛してはいない。
君が出来ることは死ぬことだけだモーツアルト!死ねぇ!死んでくれ!私を一人にしてくれ!』
怯えて机の下に逃げるモーツアルト。机を叩きながら叫ぶサリエーリ。
叩かれるたびに怯えていたモーツアルトの目がどんどん変わっていき、怯えるリズムが早くなるモーツアルト。
机の下から出て
『パパー!』と叫ぶ。
父親が死んだ時とは違う、甲高い子供の叫び声。
そして『パパー?(周りを見渡し)パパー』と幼児退行しているモーツアルト。
振り返りサリエーリを見つけるて嬉しそうに『パパ~、抱っこして~』と甘える。
驚いて固まって後ずさりするサリエーリに向かって
『ほら、その手を下ろしてくれたらさ、そこに飛び込むからさ…ねえってばぁ
ほら昔よくやったじゃん、ホップホップぴょんっ』と机の上に飛び乗る。
サリエーリがさらに怯えて避けようとすると
『ねえ抱っこして?』
『ねぇキスの歌歌おう?覚えてる?オラーニャ・フィアガータ・ファ・マリーナ。ガミーナ・ファ チュッチュ』
足をぶらぶらしながら子供の声で歌い続けるモーツアルトを抱きしめるサリエーリ
『見よ。深淵なる神の歌声が、赤ん坊の歌声に変わった。人間を引きずり下ろすという事は神を引きずり下ろすという事だ』
と。慟哭するサリエーリ。
サリエーリの胸の中で泣くモーツァルト。
自分が望んでいたはずなのに傷ついた表情で去るサリエーリ。
キスの歌を歌い続けるモーツアルト。そこへコンスタンチェが帰ってくる。
『スタンチェ~』
と泣きながらコンスタンチェにしがみ付くモーツアルト。
『サリエーリにねぇ毒を盛られたんだぁ。サリエーリなんだよ。サリエーリが自分で言ってたもん』
とコンスタンチェに訴えかけるモーツアルト。
コンスタンチェは子供をあやすみたいに『そうねぇ、もう大丈夫よ~』と声をかけながらモーツアルトを寝かせる。
『サリエーリだ!サリエーリだ!』と怯えたように目を見開き叫ぶモーツアルト。
コンスタンチェの膝枕で寝るモーツアルト。
コンスタンチェは一生懸命モーツアルトに話しかける。
レクイエムが流れ、弱弱しく指揮をするモーツアルト。
その眼にはもう怯えはない。
コンスタンチェが『あなたと結婚した日が人生最良の日だった』と話しているときに一筋の涙を流し息絶えるモーツアルト。
(サリエーリが口から吹き出した楽譜の切れ端が目の前にあるときはそれを持ち、力尽きる時にハラリと落とす場合もあり)
まだまだ続く。我ながら長いww
アマデウス1
松本幸四郎主演
アマデウスは版権とか厳しいだろうからDVDになる可能性は限りなく低いと思っているので完全に自分の為の備忘録かつ自分がストーリーを整理する為に書きます。
シーンの感想は書いてるけど全体的な感想はまた別で書けたら。
なのでネタバレっていうレベルを超えて細かく書いているので恐ろしく長いです!
記憶力ない方なので台詞とか違うと思います。許してください。
★主な登場人物★
語りにして主人公である宮廷作曲家サリエーリ
そして、神の寵児という意味の『アマデウス』をミドルネームに持つ天才作曲家ヴォルフガング・アマデウス・モーツアルト
その妻コンスタンチェ
音楽好きだけど才能はない皇帝ヨーゼフ2世
シュトラック侍従長
ローゼンベルク伯爵(国立劇場監督)
フリーメイソンの熱心な会員であるまじめなスヴィーデン男爵(長官閣下・フーガの殿様)
★サリエーリの独白★
導入部分がとても好き。
『未来の亡霊体=観客』に話して聞かせるというのが何とも素晴らしい。
客電が付いたときにサリエーリが
『おお見える。見える。お前たちの顔がよ~く見えるぞ』と嬉しそうに言われるとなんだか嬉しくなる。
サリエーリのお茶目さがにじみ出ていて一気にサリエーリという人が好きになる。
そして毎日満員の客席を松本幸四郎さんに見せることが出来て自分もそのうちの一人と思えるのは誇らしいというか来たかいあるって思える。
空席だらけだとこの演出少し微妙な空気になっちゃうよね。。。
★モーツアルト出現★
初めは下品な若者が来た程度の気持ちで顔をしかめていたサリエーリ
モ『トルアツーモってな~んだ?』また変な事言い出した
モ『逆にしてごらんよ』逆か~。。。え?もしかして???
モ『モーツアルト!』え???こいつが???
みたいな表情の変化がすごく好き。
モーツアルト桐山照史くんとコンスタンチェ大和田美帆さんの掛け合いの間がすごく良くてまさに
『バカップル』
夫人の召使の呆れ方もすごく良くて、うわぁこの舞台絶対面白いぞ!
と思わせてくれる瞬間。
★サリエーリの挫折★
自分の前に天才が現れた。
ここで出てくるキーワードは『神の声』
サリエーリはモーツアルトの曲に『神の声』を感じ挫折し、モーツアルトに会う事を避けながらも
モーツアルトの作品を集める。
★サリエーリとモーツアルトの対面★
モーツアルトが宮廷の中で異色の存在であることと、
モーツアルトの才能と無邪気さゆえの無神経さを印象付けるシーン。
サリエーリが作曲した行進曲をモーツアルトが無邪気に編曲し
『あ~良くなった!』楽しそうに言うこのシーンはモーツアルトのという人物がとても端的に描かれていてすごく好き
全体的にとてもコミカルで、桐山モーツアルトの動きの軽快さが全開。
ジャニーズアイドルが俳優として舞台に立つ『意味』が見える気がした。
★モーツアルトの才能はサリエーリにしかわからないのかも?★
モーツアルトのオペラは皇帝と監督閣下には『音符が多い』と理解されない。
その時モーツアルトは(サリエーリならわかってくれるはず)という目線をサリエーリに送るのに
サリエーリも『理屈としてはその通り』と皇帝の意見に同調。
その時のモーツアルトは『え?噓でしょ?そっち側の人間なの?』みたいな反応。
少しご機嫌を損ねたっぽい皇帝のことが気になりサリエーリを呼び止めるモーツアルト。
モーツアルトはサリエーリに感想を求める。
実はこの後も、モーツアルトが感想を求めるのは皇帝以外ではサリエーリだけ。
モーツアルトはサリエーリが恋心を抱いていた歌手に手を出してしまい
サリエーリは『男としての嫉妬』もモーツアルトに抱くようになる。
酔っぱらいモーツアルト
やりたい放題したい放題。
どんな罵詈雑言を放っても一生懸命モーツアルトをなだめる侍従長閣下。
怒ってたのにモーツアルトの音楽を聴くと楽しくなっちゃう侍従長閣下。
かわいい。
なのに、モーツアルトはついに言ってはいけない言葉を言ってしまう。
『ボク知ってるんだ~皇帝が影でなんて呼ばれてるか~けちけちカイザー!キャハハハハ』
皇帝を侮辱することは侍従長も侮辱すること。
そして、それにすら気づかないモーツアルト。
自業自得。
★サリエーリが神へ宣戦布告★
サリエーリはコンスタンチェにモーツアルトをエリザベート王女の家庭教師に推薦するための所謂枕営業を求める。
個人的な感想としては珍しく桐山君にキスシーンがないと思ったらまさか幸四郎さんのキスシーンを見ることになるとは!と興奮(笑)
そしてサリエーリはモーツアルトの手書きの楽譜を見ることになって
下書きの跡がまるでないことに衝撃を受ける。
モーツアルトはただ「頭の中に流れている音楽」を書き留めているだけに過ぎない。
サリエーリは自分には『耳』しか与えられていないと嘆き、自分の凡庸さを実感させられ続けることに絶望する。
(この時にバタ!と前に倒れるんだけどその倒れ方がほんの少し膝が曲がるくらいで、ほぼまっすぐで。
八百屋舞台だから傾斜もあるのに、勢いよくバターン!って。
素晴らしい!でも幸四郎さんのお年を考えると無理しないで!って気持ちになる。
千秋楽まで怪我なくご無事で)
サリエーリは自分を凡庸と称しながら『非凡な』自分も自覚しているようにも思える。
非凡だからこそモーツアルトの才能がわかるって密かに思っているところが端々に垣間見える。
それを証拠にサリエーリは全幕を通して『神が自分に罰を与えないこと』について疑問は持っても
モーツアルトが評価されないことに対しては何も疑問を抱かない。
『今は評価されなくても、後世に残る音楽』
ってずっと思っている。
むしろ、今は誰にも気づかれたくないと思っている。
もちろん、モーツアルトを引きずり下ろしたいのだから、当たり前と言えば当たり前なんだけど、
そこに本当に分かってるのは自分だけというような優越感とモーツアルトへの執着心を少し感じさせる。
(今回の観劇レポの為にアマデウスで検索かけてみたら
腐女子の方々には映画『アマデウス』はサリエーリとモーツアルトのBLストーリーとして定評があるらしい。
世界は広いそして深い。。。でもちょっとそういう好みの方々の琴線に触れるのは少しわかる気がする)
『神を侮るなかれだと?人間を侮るなかれだ!今日より後、私とお前は敵同士だ!』
と神に宣戦布告するシーンで思わず涙。
私は無宗教なので神と戦うことについての重さってわからないけれど、今まで信じてたものを失うのはつらい。
その気持ちが言葉として全身に刺さってくるような感覚。
★幕間★
休憩に入る前に老サリエーリに戻る。
『膀胱は人間の付属器官であって、未来の亡霊たちには関係ないことだが、ワシのような老いたものにはしばしばお声がかかるものでな』
って。もう大好き!
休憩ないのは絶対しんどいけど、物語としては途切れてしまう。
でもおじいちゃんがトイレ行っている間待っていると思ったら全然物語が途切れない!
しかも手を振って去っていくおじいちゃんの可愛さよ!
思わず振り返したくなる。
休憩終わりも
客電明るいまま『シーシーシー』って猫を追い払う言葉で入ってくる。
未来の亡霊としてここにいて、おじいちゃんの話を聞くのを待っているという気持ちに改めてなる演出。
最高!
ってことで続きます…
完璧なアイドルが入所して15年経ちました。
入所15周年おめでとうございます(*≧∀≦*)
濱ちゃんも真鳥もおめでとう(*≧∀≦*)
桐山くんはジャニーズになるべくして、アイドルになるべくして生まれてきたと結構本気で思っています。
きっとジャニーズじゃなくても、タレントでなくても成功する人生だと思うけれど、
歌も、ダンスも、演技も、司会もフリートークもできちゃう。
運動神経もいいし、食レポもワイプ芸もお手の物!
マルチな才能に溢れた桐山くんに一番合っている事務所はジャニーズ事務所しかない!
桐山くんはよく自分のことを
(´◇`)俺はジャニーズらしくない
(´◇`)かっこつけるのが苦手
(´◇`)甘い言葉なんて言えない
なんて言ってますが、嘘つき~(*´∇`*)って思いながら聞いていますww
それぞれ思うアイドル像があって反論もあるでしょうが、
あんなにいつも全力でかわい子ぶって、かっこつけて、セクシーさに溢れ
ファンをデレデレな甘い言葉で徹底的に甘やかすアイドルは桐山くん以外にいません!
(きっと皆さま自担には同じ気持ちでしょうけれど)
かといってそんなに完璧なのに、一方的にただ見るだけの存在というわけではなく、
距離の離れたステージ上で言った言葉でも、
なぜかリアリティに溢れたものとして感じさせてしまう。
そんな温かみもあるアイドル。
「俺について来い!」ってかっこいい背中を見せたと思ったら、
ちゃんとついてきてるか不安そうにそっと後ろを振り返って、
「さみしいから一緒に歩こう?」って上目遣いでお願いして来て、
横に並んだ途端、悪態ついて来てゲラゲラ笑いながら歩いてたはずなのに
いつの間にか手を繋いでた!
みたいな桐山くん(どんなだ)
何が言いたいのかというと、なにもかもが絶妙の匙加減ということです。
さすが料理好き。
何より、すごくオープンにしているようであまりリアルな情報は実はあまりないっていう
プライベートの見せ方の完璧さ!
桐山くんの好きなところはたくさんありますが、あえて一番を上げるとすれば
好きな女性のタイプ「ショートカットでボーイッシュな子」
好きな女性芸能人「加藤あい」
これを一切変えることなく15年貫いているところです。
加藤あいさんがご結婚された今でもその解答は変わっていません。
好きな食べ物「いちご」なみの模範解答だと思います。
15年前といえば中学生、好みは色々変わっているはずです。
加藤あいさんが好きということを嘘だとは思いませんが(今でも池袋ウエストゲートパークの話をするし)
他に惹かれる女性タレントはたくさんいるはずです。
でも、その答え方の裏に「彼女」の影を見てしまう悲しいヲタクの性(深読みしちゃいますよね。ヲタクですもの)
そんな解決するはずもないし考えても仕方がないもやもやを起こさせない。
週刊誌とかは気を付けてても防ぎようなかったりすることもあるから、
ある程度仕方ないだろうなって思います。
あることないこと書こうと思えば書けるものですし。
このSNSが発展した社会において、隠し通すにも限界もある。
でも、アイドルというものは夢を見させてもらえる存在だと思っているので、
きちんと気にして行動できる人かどうかはとても重要なことだと思っています。
妄想コントでは「経験豊富なリアル彼氏」ぶりにヲタクの妄想の泉を溢れさせるくせに、
ヲタクに「リアル彼女」を想像をさせない(根拠のない情報をわざわざ取りに行って傷つきたいヲタクは除きます)
桐山くんの徹底アイドルぶりに尊敬しかない!!!
なんの話か分からなくなってきましたが。
すごく小さいことでも、きちんと考えて行動できる人が好きって話です。
あらためまして、桐山照史くん。
ジャニーズ事務所に入ってくれて、ありがとうございます。
これからも完璧なアイドルでいてください。
いつも幸せをありがとう。
ドームを終えて感じたジャニーズWEST
いきなりですが、改めてジャニーズWESTって本当にすごいグループや!
って思いましたww
(完全に贔屓目かな?結構冷静なつもりだけどww)
何が一番すごいって、全員が
『俺が一番かっこいい』
って顔しているところ。
当たり前なことなんだけど、意外と全員がそんな風に考えてるグループは少ないんじゃないかなって。
WESTはファンにとったら、自担が一番かっこいい人だっていうことをちゃんと分かってくれている。
だから、そのファンには自分が一番かっこいいって思わせ続けなくちゃいけないんだっていう責任感というか覚悟があって、
事あるごとに
『ほら!俺ってやっぱりかっこいいやろ?』
って
天狗になっているとは全然違う意味で、ちゃんとかっこいい姿を見せてくれる。
そのパワーが7人ともいつも同じくらいですごくバランスがいい。
もちろん成長していくのに、迷うこともあるだろうし、ちょっと自信ないのかな?何か壁にぶち当たってるのかな?って思う時期も全くないわけじゃないけど、一人だけが強すぎたり、一人だけが弱すぎたり全然しなくて。
今その本人達のバランスの良さがそのままファンの数のバランスの良さにイコールしている。
ドームという大きな空間になってもペンラの色は肉眼で見る限り綺麗に同じような割合だけ7色そろっていた。
ほんまにすごいなって。
もちろん全く同数という訳じゃないと思うけど、正直ちょっとびっくりした。
私はそんなに他のグループを見る機会が少ないからかもしれないけど、SMAPや嵐みたいに国民的になれば別だけど、駆け出しの若手のドームってどうしても偏りがあるイメージだった。
一人のカリスマ的スターが居てグループをずっと引っ張り続けるというのもひとつの成功例だと思うし、
ジャニーズに限らずそういうグループがほとんどだと思う。
だから、ジャニーズWESTはそういう点では弱いと感じる人がいるかもしれない。
人気メンがいないって。
でも、私はスターが7人居ることが一番強いと思う。(当たり前だけど)
メンバーは一番のライバル。
誰もがよく言う言葉だけど、ジャニーズWESTはJr.時代リアルにライバルだったから。
ガチで負けたらデビューできなかった。
でも東京のJr.という強大な存在に対して、関西Jr.としての人気も上げていかなくちゃならなくて、
他を下げて自分だけ成り上がってもデビューは出来ない。
ライバルの人気も上げなきゃいけない。
その上で自分の存在感も出さなきゃいけない。
ただ勝てばいいだけの単純なレースじゃない。
そんな特殊な環境でのギリギリの攻防を何年もやってきた7人だから。
これからも今のこの色のバランスに甘んじることなく、馴れ合うんじゃなく、
ライバルに置いていかれないように必死で切磋琢磨していくんだと思う。
小瀧はあんなに身長が高いのに、ジャニーズWESTの中にいるとちょっと高いなくらいのレベルに見える。
グループの中に居たら特にすごくないように感じる。
せっかくの高身長がもったいない。
小瀧だけを売り出したいなら、もっと身長差あるメンバーを選んでグループを組んで、
もっと目を引くようにしたほうがもっと簡単に人気出るのにって思う。
でも普段、目を引かないからといって、別に本人の身長が縮むことがあるわけもなく、
外にでれば身長が高いことには変わりなくて、
井の中の蛙の逆バージョンでもええじゃないか!ってなる。
ジャニーズWESTは確実にこれから知名度もバンバンあがって個人を見てもらえるように絶対になる。
イメージじゃなくて、ちゃんと一人ひとりを見てもらえるようになる。
そうなれば、必然的にすごさは分かってもらえるから。
だから、別にグループの中で突出している人なんて居なくていい。
だれかを目立たせるための要員なんていらない(もちろんお互い引き立てあえる存在であるべきだけど)
この人が人気メンなんだよってイメージをわざわざ作らなくてもいい。
このままずっと全員に
『俺が一番かっこいい』
って顔していて欲しい。
誰かの人気が爆発して、一時的にバランスが崩れても、すぐに他の誰かも人気になって、気づいたらみんな追いついてて。
そうやって全員がスターになっていく未来が見える。
ジャニーズWEST最強だなww